天使を見たり、そのメッセージをとらえることは可能なのか?
エティエンヌ・レンゾは写真を使ってこの形而上学的な問いに答えている。彼の天使のシリーズは、ヴィム・ヴェンダースの映画『欲望の翼』にインスパイアされたもので、天使ダミエルは、人間との愛と欲望を経験するために、目に見えない不死の状態を失うという物語である。
しかし、エティエンヌ・レンゾの天使はヴェンダースの天使ほど高くは飛ばない。完全な浮遊状態で撮影された彼らは、とてもリアルなのだ。というのも、これらの映像は、撮影された文字通りの意味を超えようとする人間の肖像でもあるからだ。宗教的、精神的な教条主義にとらわれることなく、美しい魂と美しい人々を神聖化し、そのオーラを回復させるイメージなのだ。
いわば普通の天使たちだ。今日、私たちの中にいる普通の天使を見ること、見せることは、魅惑へのアクセスを回復する方法なのだ。エティエンヌ・レンゾは次のように説明する。「天使を撮るということは、日常生活の魔法や人生のすばらしさをできる限り再発見し、それが忘却の彼方に落ちないようにすることです。
このようにして、私の写真は天使の仕事を果たすのです。これらのイメージを公開することは、伝統的に神聖な仕事に対する私の冒涜的で不完全な解決策なのです」。それは、幻滅が蔓延している現在において、有益なアプローチであり、今回のケースのように、目に見えないものとのつながりを取り戻すことで、写真がその一翼を担うことができるものだ。
断片化され、分断された世界において、宇宙論的な連続性を再構築することを意味するのだから。それは守護天使の主な役割でもあるのではないだろうか。
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